幻覚ギター

みた映画、きいた音楽、よんだ本。

蛇にピアス

蹴りたい背中」でも感じたように、物語として、毎日大量に生産されているものに比べてどうなのかと思ってしまった。もちろん両作品が今年の芥川賞受賞作だったことと、著者が若いために何か新しいものを期待してしまうからなのだけど。

蹴りたい背中」の主人公がありきたりの日常の中からみえる世界をわかったような気になっているのに対して、「蛇にピアス」では主人公はそれまでの枠から外へ踏み出して、シバのような得体の知れない人間と出会って世界のわからなさを感じているように思える。いずれにしても彼女たちがみている世界はとても狭いものだと思うし、僕も含めて多くの人も同じだろう。狭い世界の中にいれば閉塞感にとらわれてしまうのも自然なことだろうし、そこから自分を脱出させてくれるものにすがりつきたくなる隙も誰もが持っているものだろう。

オウムの麻原はいなくなるのかもしれないが、彼を生む土壌はあの頃から何も変わることなく存在し続けていると、あらためて感じた。