システム1は何の努力もせずに印象や感覚を生み出し、この印象や感覚が、システム2の形成する明確な意見や計画的な選択の重要な材料となる。システム1の自動運転が生み出すアイデアのパターンは驚くほど複雑だ。だが、一連の段階を踏み順序立てて考えを練り上げられるのは、スピードの遅いシステム2だけである。システム2は、システム1の自由奔放な衝動や連想を支配したり退けたりすることもできる。
このシステム1とシステム2の動きは物理的にもよくできていると思うし(こういうトレードオフを補完しあう複数のサブシステムを組み合わせたシステムは実際によくみられる)、右の本を読んで衝撃を受けた、「受動意識仮説」でいう後付けの意識というのはシステム2のことなのかと納得してしまう。 ただ、残念なのは、我々には種々のバイアスがあって、その原因がシステム1とシステム2によって説明できる、ということを証明するための実験が延々と続き、途中でしんどくなってくるところ。なので下巻はギブアップ。また時間を置いてこの話を読みたくなったら読もう。 「もっと頭を使って」というのはシステム2を働かせてということだと気づけば、日常でもその指導方法も工夫ができそう。例えば、とても雑な箇条書きのパワポ。思いつくまま項目を並べただけで、これらを論理的に説明するところまで頭を使わなかったのだろう。こういう場合は逆に文章にさせることでシステム2を働かせるのがいいのかもしれない。