幻覚ギター

みた映画、きいた音楽、よんだ本。

「幸運な男 ― 伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生」

伊藤智仁は本当に大好きな投手で、多分スワローズファンでなくとも大好きになっていたと思う。本書の中でも、何人かの選手が伊藤智仁の投げる姿がかっこいいと言っているが、独特の腕のしなりから投げ込まれるきれいなストレートに、エグい高速スライダーはずっと見ていたいものだった。 故障に苦しんだこともよく知っているし、あの引退試合で投じた球に当時、ものすごくショックを受けたこともよく覚えている。また故障が癒えれば投げられることを前提に、スワローズのコーチになっているのでは、という話も当時から言われていたし、僕も割と最近まで本気で期待していた。神宮球場ブルペンで投げる投手の横にいる姿を見ても、まだ現役選手のようにも見えたし。 伊藤智仁については、普通に知り得る情報は全部知っているつもりで、本書も別に読まなくても…と思いながら手に取ったのだが、自分が全くの無知だったことに気付かされた。 リハビリがこれほど過酷なものだったこと、本書での伊藤智仁の言葉や古田氏が評する「執着する潔さ」といった人間的な魅力など、知らなかったことが多かった。再発や経験した痛みへの怖さから、以前のように投げられなくなることやそれを乗り越える苦しみは、テレビを見ているだけでは伝わってこない。松坂大輔が投げられるようになるまであれほどの時間を要したのも、よく理解できた。 引退試合でのピッチングについて、伊藤智仁とともにリハビリに励んだ松谷投手の言葉には、会社の昼休みに読んでいたのに泣いてしまった…。
「あの頃のトモさんは、若手よりもずっと練習していたんですよ。朝早く起きて、誰よりも早くグラウンドでひたすら走って……。それが、あんなボールしか投げられないんですよ、あんな球しか投げられないんですよ。中学生よりも遅いボールなんですよ……。それでも、トモさんはマウンドに立ちたかった。僕からしたら、見ていられないボールです。それでも、トモさんは堂々とマウンドに立っている。そのプロ意識はすごいですよ。」
ただ何より驚いたのがその後の伊藤智仁の言葉。なんと全球ナックルを投げてたなんて!これも知らなかったのだが、体が完全に元に戻らない前提で、ナックルボーラーを目指していたのだった。 本人は世間から向けられる「悲運の投手」というイメージは勝手に思ってくれてむしろラッキーだと捉えていて、タイトルの「幸運な男」を提案されて以下のように言う。この言葉には読んでいて救われる思いだった。
「いいんじゃないですか。確かに、《幸運な男》だと思うから(笑)」「なるほどね、《幸運な男》か。なるほどね…」