幻覚ギター

みた映画、きいた音楽、よんだ本。

「東芝の悲劇」

野次馬的な立場と、他人事とは言い切れない今の業務の立場からとで読んだ。

ここまで歴代の社長のことを悪く書けるのもすごいし、それを裏付ける証言があるのもすごい。 別に読んだ本での分析でもあったが、役員まで出世する人間というのは仕事もできて人望もある(ごく一部に対してであることも多いが)ことが基本であるはず。おそらくこれらの歴代社長もその基本スペックは満たしていたのではないだろうか?

なのにこういうことになる、というのは「仕事ができる」ということの定義がおかしいのだと思う。上からみて仕事ができると思われるのは、要するに上に対しての気遣いができるということで、成果だってたまたま環境がよくてあげられたことも多いのだろう。 印象や成果だけをみるのではなく、実際にどういう資質を持ち、どのように仕事を進めてきたのか、ということまで踏み込んで評価しなければ、責任が伴う立場につけてはいけないのだと思う。東芝に限らず、そんなことばかり…。

本筋から外れるけど、2点、なんじゃこりゃという記述があった。こんなことが書いてあると他の部分も信憑性が吹っ飛んでしまうのだけど。

アラン・ケイ研究員が七〇年代に書いた「パーソナル・ダイナミック・メディア」という論文に「個人が持ち運べる電子文房具が登場する」とあったのを思い出し、据え置き型のデスクトップではなく、個人が持ち運びできるパソコンを開発しようと思い立った。後に溝口はダイナミックとブックをかけあわせて自社製品を「ダイナブック」と名付けることになる。

いや、こちらの方が正しいとするとビックリ。当時あのダイナブックの名を使うのはどうか?と散々批判されてたはず。

当時は五インチのフロッピーディスクが一般的だったなかで、あえて三・五インチのフロッピーディスク・ドライブ(FDD)を採用している。

いやいや、Macが3.5インチ使ってたからでしょう。