幻覚ギター

みた映画、きいた音楽、よんだ本。

Andy Hertzfeld 「レボリューション・イン・ザ・バレー」

前の会社では僕が入社以来10年以上働いた「部屋」があった。

 

入社当時、僕はソフトウエアエンジニアになりたいとは思ってなくて、希望業務も商品企画だったくらいだ。だからその部屋に配属された当初は、典型的なプログラマといった雰囲気の人達に囲まれて少し戸惑ったものだった。

でもすぐに僕はその部屋に置いてあったMacGUIに魅せられ、またこれはソフトウエアで作られたものでここで作ろうとしているものはこのMacのように挑戦的なものだという先輩の言葉に魅せられた。

 

実際そこでは今でこそ一般的になった(携帯電話とかで)GUIベースの小型の情報端末のようなものをつくっていて、世の中を見渡しても当時はそんなものをつくっている人はほとんどいなさそうだった。ある意味自分たちは最先端にいるという無邪気な自負があり、難しい問題が出るたびにこの世の未知の問題にとりくむような気がしてわくわくした。

Macで動くプログラムもいくつか作った。だから著者の開発ノートにかかれたToolboxのモジュール名をみたときは懐かしくて涙がでそうになった。

 

その部屋での開発風景は本書(とりわけ前半)に出てくるものにそっくりだった。当時もMacの開発者に関するエピソードはいくつか知っていて、おこがましくも彼らを身近に感じていたのだが、この本を読んでますます強い既視感を感じた。自分たち自身の体験であるかのように。

管理主義・体制的なものへの反抗心、くだらない冗談や作り事を喜んだり、みんなでゲームで遊んだり。世の中にないものを作り出している、そしてそれができるのは自分たちだけだという気持ちがもたらす高揚感がよくわかる。

 

Jobsといえば最近どこかの大学での卒業式のスピーチを読んで感動したばかりだったが、本書で書かれているオリジナルな(?)面も楽しい。

僕はBill AtKinsonに憧れてたので彼のエピソードも笑えた。QuickDrawをもう変更したくない、する必要もないと言ってたのに、次の日には楕円の描画処理を高速化してうれしそうにデモした話とかよくあることだ。

 

前半で感じた既視感は残念ながらこの物語の後半でも続いた。組織が大きくなり小さなグループで個人の能力に依存した芸術的な開発作業は否定され、リスクが少ない(ようにみえる)管理された工程へと変わっていく。Jobsは権限を奪われ、そして著者はMacに関係する仕事に未練を感じながらもAppleを辞める。

 

僕たちは何年か前にその部屋を明け渡し同じ建屋の別の部屋に移った。さらにその建屋からも追われて広島や他の場所へと散っていった。

あんな楽しいことがいつまでも続くはずはなかったとは思いながらも、寂しい気持ちは押さえ切れない。