幻覚ギター

みた映画、きいた音楽、よんだ本。

町田康「私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?」

先週とうとうコロナになって、幸い症状は軽いものだったので自宅療養しながら「たましいの場所」を読み返したりしていたのだが、この町田康もそうだが、やはりよい文を書く人はよく本を読んでいる。どちらの本でも著者が影響を受けた本がたくさん紹介されていて、それらもぜひ読んでみたい。

 

本書で特に印象に残った点をいくつか。

一つは文体でチェックしているポイントとして、オートマチックな言葉遣いを排除する、ということ。

たとえば、マスコミとかで大量に流布している言い回しとか、そんなものを自分がオートマチックに使っていないか。これは、玄人の小説なんかを読んでいても、「あ、ちょっとここは油断してオートマチックな言葉を使っているね」とわかります。それは徹底的に排除する。

「オートマチックな言葉遣い」は、その後で「それを言うと、もうそこから先、人の考えが止まる呪文みたいな言葉です。」とも述べられている。

それと自意識を外すことがいかに難しいか、ただこれが必須であるということ。

文章を書くときのカッコつけの自意識を外すことをしなければならない。まず、一度外すと文章の自意識がなくなります。そうすると、文章を書くことが楽しくなって、スルスルと文章の推進力によって、言葉を書き進めていくことができます。その、言葉を書き進めていく推進力に従ってどんどん進んでいくと、自分が本当に考えている変なことにたどり着くかもしれない。その、自分が本当に考えている変なことが、実は、何を必要とするかというと、それを気持ちよく提出するためには、文章の技術を必要とする。その文章の技術を得るためには、自分の文章の自意識を取り払わなければならない。そして、また最初のところに戻るわけですが、もう一度、そこにたどり着いたときには、今度はさらに、もう一層下の自意識ー自意識も一度取り外したら終わりじゃないですから、さらにもっと深く、もっと大きく自意識が取り外されますから、もっと広がっていく。このことをどんどん繰り返していくことによって、おもしろい文章を書くことの秘儀に、呪術に到達できるわけです。

さらにこれを続けるためには、一日も休まず書き続けることが必要という。

「たましいの場所」にも通じる以下の言葉もよかった。

「魂」というのは、形がないじゃないですか。目に見えない。自分しかわからんわけです。でも、自分しかわからん魂を持っていることが、人間はたまらなく寂しいんです。孤独なんです。(略)魂自体は形がないから、その外側を、なんか、樹脂みたいなもので塗り固めて乾かすことによって、形を与えたいんです。(略)その外側に塗り固める材料というのが言葉やと思うんです。